ロールアウトINDEXに戻るヤルヤル体験記>94氷ノ山物語

山頂ももうすぐ 東尾根から千本杉へ
期待と不安と
94年初日の出を例年通り兵庫県氷上郡青垣町の岩屋山で迎え、その足で氷ノ山に向かう。
岩屋山からの道が一部凍結していたこともあり氷ノ山国際スキー場に着いたのは午後1時を少 し過ぎていた。
さっそく登山の用意を済ませ、スキーリフトで距離を稼ぐ。
2つリフトを乗り継いでレスト ランのあるゲレンデに着く。ここが氷ノ山登山の出発地点(標高880メートル)となる。
レストランと同じ屋根の下にある救急パトロールのある事務所で登山届の手続きを行う。
登山者名簿に名前を書く。まず私加藤潔、小林哲朗、小林卓也、浅井康作、辻中宏充、古来 佳彦、そして女性欄には瀬井祥枝、坂本和子、中川えみ子、中安裕子、大西麻美と総勢11名 であった。
真っ青な空と真っ白な雪 樹氷の中に山頂小屋が この雪山登山は、私が昨年2回行ったのだがその時の景色がとても素晴らしかったため、 「他の仲間にも見せてあげたい、感動を味わってもらいたい」ということから計画された。
しかし、たった標高1510メートルの山といえども単独山、そして日本海に近いということも あり毎年遭難者が出るくらいの雪山でもある。
ほとんどが雪山は初めて、まして雪上キャンプなどは私、辻中を除いては皆未経験である。
ある意味では無謀ともとられてしまうかも知れないが「とりあえず服装、持ち物だけはしっ かり揃える事。
そして積雪量、天候の状態によっては登頂をあきらめ、引き返しスキー場で キャンプをする。」という話で計画は進んだ。
登山届を済ませ歩き始めたのはもうすでに午後1時40分を過ぎている。少し不安がよぎる。
この時間では順調に行っても陽が沈む頃に着くかどうか、何かあったら山頂どころか引き返 すだけの時間も残らないのでは・・・」 しかし見渡す限り積雪量はそんなに多くはなく、なによりも何人かが歩いたと思われる足 跡がある。
これはとても心強いことだ。 現に昨年辻中と2人でこの氷ノ山に来た時、出発時間が遅いため陽は落ち更に吹雪きが視界 を遮り山頂を断念、急遽雪洞を作り夜を過ごしたした事がことがあった。
が今日は風も無く 天気も良い。 今回のメンバーは全て遠足クラブの仲間であるが、六甲縦走そのほかの時でも女性が加わる と話声、笑い声が絶えない。
今回も例外ではなく実に楽しい。 そして今回の一番の楽しみはなんと氷ノ山山頂で”書き初め大会”をする事である。
そのために12月初旬にその時使うテーブルを荷揚げしてあるのである。
しかもこの事は私と辻 中の2人だけしか知らない他のメンバーには内緒である。
歩き出して少しすると急な上りが続く。女性の中では1番重い荷物を背負っている瀬井の呼 吸がすでに乱れている。
出発してまだ20分程であるがとりあえず休憩をとる。
氷点下ではあるが暑がりの私はアンダーシャツ1枚、手袋もしていない。
雪山といえども風が無 ければ登山中は寒さを感じさせないのである。
出発して1時間程で東尾根非難小屋(標高1080メートル)に着く、ここで休憩そして記念撮影。
ここから眺める雪景色はとても気持ちが良い。 ここからは少し平坦が続き東尾根を過ぎると水場(積雪が多い時は水場は通らず直登)を横切り急斜面になる。
この辺から積雪が少し多くなり同時に足跡も見えにくくなってきた。
ついには足跡は無くなり膝上までのラッセルが急斜面に続く。たまには転倒もまぬがれない。
その時着いた雪はあっと言う間に樹氷となり凍り付く。 午後4時氷点下5度。
正直言ってこんなところでラッセルしている場合ではないのだ。
昨年登 頂を断念したことが頭をよぎる。「このメンバーで雪洞は無理だろうし・・・・。」 全員の顔色を見る。
「これだけの人数なので慎重に行動しなければ」そして引き返すかどう か迷いながら前を行く。
しかし私の気持ちとは裏腹にメンバーは相変わらず楽しそうであった。
そうこうしているうちに神大ヒュッテ近くからの足跡と合流する。
午後5時約1300mm付近で最後 の休憩をとる。
ザックにくくり付けていたボトルの水は凍りついて口にすることもできない。
チョコレート、菓子などを軽く食べ全員元気に出発。 もう薄暗い、でも安心だ。ここからなら道に迷うことなく山頂山小屋まで行ける。

いよいよ山頂へ

私は一足先に山頂へ、そして皆を迎える。ひとりひとりと握手を交わす。
同時に出発前の事を思い出す。「60リットルものザックを担いでこんな氷ノ山の雪山を山頂まで自分の足で登りきることができるのだろうか。」・・・そう君たち大西と中安のことである。
特に大西に関してはその小柄な体がスッポリ入ってしまいそうなザックを背負っている。
でも私の心配をよそに最後までがんばった彼女達に拍手を贈りたい。
陽はすでに落ちていた。暗いはずの山頂は、ほんのり雪明かりで明るかった。
みんなで山頂非難小屋に入る。今日はここで一晩お世話になるのだ。
正確にいうとここは山小屋 ではなく、非難小屋なので予約も料金も必要なく誰でも自由に利用できるのである。
でも正直なところ「水入らずでこの仲間だけで一晩を過ごしたい」そんな気持ちでここに来たの で我々の他に誰もいなかったのでホッとした。
ここの小屋の中は12畳程の広さで真ん中に囲炉裏があり、そして壁に沿って腰掛けの板が張っ てある。
その一角に2階に通じる鉄パイプの階段があり2階の寝床に通じる。
小屋の中とはいえ氷点下4度と床にこぼれた水があっという間に凍る寒さである。
とりあえず、靴を脱ぎ2階に上がり食事の用意をする。
今晩は鍋料理である。ビールにワインそしてウイスキーもある。
「こんなにたくさん、よくも ここまで持って来たもんだ」と思わせる程の量である。
つまりこういう登山の場合、どうしても荷物が多くなるので特に食べ物などは必要最小限に留め るべきだが、ハイキング気分が抜けずあれもこれもとたくさん持って来てしまうのであろう。
現に翌日ここを出る時たくさんの食料、水そして酒類までが余っていた。
一泊だからこれで済んだが何泊もする時はしっかり計算して持っていかないと荷物が重くなり行 動にさしつかえることがある。でもそんな事を気にせず楽しんでいる姿がとても微笑ましかった。
第1回雪中書初め大会 樹氷を背に
満点・満天の星空
そんな食事の合間に雪洞をせっせと掘る一人の若者がいた。その若者こそ昨年私とこの氷ノ山 山頂を目前に断念して雪洞で一夜を明かした男、辻中宏充であった。 その時の事を思い出してかスコップを持つ彼の手には力が入っていた。
普段見る事のできない素晴らしい星空。この星空の下で雪洞 の中で感動を味わいたい。
そんな気持ちからこの雪洞で寝るのは中川であった。
あまり自慢することではないが現に私もここ一年以上キャンプの時は、ほとんどテントを使わ ず星空の下で寝ている。
寝る時、ふと目が覚めた時、目の前に”満天の星空”がある。
それはもう言葉では言い現せない程の満足感、幸福感なのだ。
但しこういった寒い場所で外に寝る場合、服装をしっかりしないとたいへんなことなる。
まず外に居てもあまり寒くないくらいの服装、これは真夜中に寝袋から直接寒い外に出ることを 考慮してである。
小屋、テントなどと違って寝袋を出ると当然直接外が待っているからだ。
もうひとつは夜露そして突然の雨などに対処できるゴアテックス製寝袋カバーが必要ちなる。
これで君も仲間入りだ。外よりはるかに暖かい雪洞の中とて基本的にはこれと同じである。
中川がひとりで例の雪洞にチェックイン。そして間もなく夜更かしの好きな我々せはあるが今日は寝袋に入るのが早かった。
ここで寒さと疲労を癒してくれるのは酒そして寝袋である。
午後10時を過ぎていた。 さすが夜中に吹く風は凄い。ここの小屋の窓を叩きつける音には何度か目が覚めた程である。
しかし、それより心配だったのは雪洞に寝ている中川えみ子の事である。凍死はないだろうが 雪崩れで埋まってないか。
1月2日7時40分。日の出は霧のため全く見えなかったがこの時間になるとここ山頂より360度 見渡せる晴れ間に変わる。こうなると小屋の中での朝食がもったいなくなる。
朝食のメニューはたかがインスタントラーメンではあるがこの景色の中での食事は格別である。
でも熱いはずのラーメンはあっという間に覚めてしまう。

日本初氷ノ山山頂書き初め大会

昨夜無事だった中川を混じえての朝食も済み、いよいよ今回のメインイベント第1回氷ノ山山 頂書き初め大会のはじまりである。
この日のために用意しておいたテーブルを小屋から出し真っ白な雪の上に置く。
あまり大きな声 では言えないがこの書き初め大会を私はどれ程楽しみにしていたことか。
今から約2ヶ月前に六 甲の菊水山で夜景を見ようとキャンプした時にアルコールも手伝ってか「氷ノ山で書き初め、そ れもテーブルを持って行ってその上で書こう」と話したのが事の始まりである。
でも「あれは酒の上の話、冗談だ」なんて言い訳するのってもともと好きじゃないし、それよ りもさっそく荷揚げ(テーブル)の日程を辻中と決めた。
総勢11人の書き初めはもちろん寸評(チャン恵子先生・免許皆伝)入りでロールアウト店内に張 り出してあるので興味のある方は一度御覧あれ。
とりあえず、全員の書き初め内容を紹介しよう。
[金賞] 辻中宏充「七転八起 [銀賞] 中安裕子「腹八分目」 [銅賞] 大西麻美「笑う門には福」
以下は 小林哲朗「一発逆転」 小林卓也「安全第二」 坂本和子 「夢」 中川えみ子「ケセラセラ」 古来佳彦「日下氷人」 浅井康作「背水の陣」 加藤潔「希望」 瀬井祥枝「瀬井と死」である。
ふと周りを見るとひとりメンバーが増えている。
今朝氷ノ山国際スキー場からテレマークスキ でここ山頂まで上がって来た田中公人である。
彼はここ何年も氷ノ山の雪山を自分に庭のように テレマークスキーで歩きまわっているとのこと。
予定では他の仲間と大晦日をこの小屋で過ごす はずだったが天候が良くないということでそれは中止になったらしい。
そんな田中が今ここに来たのである。
私の思うところでは天気の回復はもちろんだがたぶん我 我の事が少し気になり、様子を伺いに来たようでもある。
テレマークスキーの腕はプロ級の彼、 2時間ちょっとで氷ノ山国際スキー場からここ山頂まで来たという。
われわれ一行はザックに荷物を詰め込み下山の準備も整った。
一晩世話になった山頂小屋をあとにする。 ちょっと寂しい気持ちだ。
もう少しここにいたいが山での行動は早め早めにするのが鉄則である。 時計の針はちょうど12時を指している。

樹氷に囲まれて

山頂から500m程下りると昨日登って来る時は薄暗くて見落としていた樹氷、雪原がとて もきれいで思わず叫びたくなってしまう気分だ。
これこそ普段では味わえない素晴らしい世界のひとつである。同じ雪原でもスキー場とは大違 いだ。
そして誰からともなく自然の中遊び出す。
その姿はまるで童心を取り戻したかの様に無邪気に、 はしゃぎまわっている。
ここには街中の雑音や複雑な人間関係など何もない。我々の目の前にあるのは誰も踏み入れて いない真っ白な雪原とここまで一緒にやって来た仲間だけだ。 感動!・・・・いつの間にか時は過ぎていった。

気分はクリフハンガー

そんな中、無邪気になり過ぎた○○者がひとりいた。私加藤であった。
最近始めたテレマークを田中と同じ様に滑ろうとして肩をケガしてしまったのである。
今日1月2日に帰る小林他仲間を見送り、私と辻中は山頂でもう一泊する予定であった。
だが仲間を見送って間もなく私は左肩を脱臼してしまったのである。
考える間もなく予定変更 下山の準備にとりかかる。
私はその左肩を右手で抱えるようにしながら氷ノ山スキー場を目指 す。
あそこまで行けばなんとかなるのでは。 額のあぶら汗をぬぐって呼吸をととのえていた時である。
「加藤さん、今リフト乗り場(氷ノ山国際スキー場)に着きました。これから帰ります。じゃ又」 と小林から無線が入る。
午後2時40分、私は東尾根非難小屋近くまで来ていた。
更に遅れること30分、田中と辻中は私のケガの場所からいったん小屋に荷物を取りに戻りそし て下山して来たのだ

素晴らしき氷ノ山そして仲間
痛みをこらえながらスキー場にやっと着いた私が目にしたものは、小林、瀬井達の姿だった。
帰ったはずの彼らがまだここにいるではないか。私は愕然とした。
私のケガのせいで「とても楽しかった、とても素晴らしかったこの”氷ノ山”」を彼らから奪 い盗りたくなかったからだ。
ケガのことは内緒にするつもりだった。
しかしスキー場の救急室で応急手当てを終えた私を迎えた彼らの顔は、先程まで氷ノ山で一 緒に遊んでいた時と同じ笑顔だった。
私は安心した。 そしてここから振り返って見る氷ノ山山頂は一層輝きを増していた。