山も川も行こうひろちゃんの厳冬期北海道ツーリング第2弾

ひろちゃんの厳冬期北海道MTBツーリング第2弾   期間2月7日〜2月11日
今年の1月に知床・屈斜路湖のMTBツーリングから帰ってきたばかりのひろちゃんがまた厳冬期北海道MTBツーリングpartUサロマ湖編に出かけた様子です。
そこまで彼女を掻き立てるものはなんだったのか現地からの携帯写メールレポートです     
第1弾 正月編は
この日のために家から持参のから揚げ粉で
わかさぎの天ぷらを揚げてビールを
こちらは一変して
「だ 出してくれ〜!」
釣ったワカサギは
油で揚げて・・と
雪が多い!スゲー!遠軽へ電車で移動
2/7女満別
サロマ湖西側は薄凍りで入れない?
2/8サロマ湖
今日は温泉で豪華?バースディー
2/8
テント内でも気温はマイナス10℃
2/9朝
氷が割れビヤ〜ン
2/9朝
お昼ご飯はサロマ湖面で
2/9昼
今夜は能取湖畔でテント設営するが
2/9夕方
能取湖荘のおかみさんが空き部屋と豪華ご馳走を
2/9夜
網走湖でワカサギ釣りだ
2/10
これが釣り用の穴
2/10

 ひろちゃんの厳冬期北海道単独ツーリング第2弾 〜夢の続きバージョン〜

期間 H16年2月7日〜H16年2月11日 4泊5日
目的 誕生日を北の大地で迎え新たな出発を誓う・・・かな? でもホントは何だろう? 
形態 MTBで単独・テント泊
行程 伊丹空港→女満別空港→北見(バス)→JR遠軽駅→サロマ湖→能取湖→網走湖→女満別空港
走行距離 133キロ


2004年1月、北海道には100年に1度といわれる記録的な大雪が降った。その翌週、またもや自転車を持って再び女満別空港に降り立つ女が1人。
1ヶ月前と同じ荷物、そして熱い思いを持って!

 先月、ツーリングから帰ってきた後、眠れない日が続いた。興奮が冷めず、北の大地に思いをはせる日々。寝ても覚めても、考えることは夢のような旅の記憶・・・。
それ程私にとって衝撃的な体験だった年末年始の北海道ツーリング。ただ、食べて寝て、起きて走る、その瞬間を見つめわくわく、どきどきすることに魅了されてしまった。
そして思い立ったのです。行こう、再びあの地へ。夢の続きを見に行こうじゃないか。いてもたってもいられず、その直後に大阪⇔女満別空港の飛行機チケットを押さえた。


H16年2月7日
 お気に入りの護衛用兼調理用BUCKナイフが関空の出発ゲートで引っかかってしまった。刃渡り6センチ以上となので情けないことに、関空で警官に調書を取られる。
悪天候で飛行機の出発が遅れ、ビールを飲んでゆったりしていたせいもあるのだろう。気を引き締めていかねば。

 無事北の大地に降り立ち、出迎えてくれたのは思ったとおり電話ボックスが埋まるくらいの豪雪だった。
なんだか、逆境?に燃えてくるがJR遠軽駅で自転車を組み終わったのが午後9時過ぎ。こんな時間からテント場探しとはどうしたものか。

実は、前回の教訓を生かし、厳冬期対策として駅近くで厳冬期用ガスカートリッジを取り寄せておいた。これさえあれば暖が取れ、後は何とか対処できるだろうというくらい存在の大きなものだ。
だが、ない。届いていない。すったもんだの末、別の店に注文していたことが発覚。胸をなでおろし、真っ暗な雪道を全身に雪を積もらせながらとぼとぼ取りに行ってきた。

駅に戻ると家族を迎えに来たおじさんたちがものめずらしげに寄って雑談の渦中だ。最近はぶっそうだし警察前で寝るのはどうかとの提案。
少し気が引けるが他に選択肢はなさそうだ。警察署と消防署が一緒になった大きな建物の前で、やっとのことで我が家を設営したころには夜中11時を回っていた。


H16年2月8日
 今日は私のバースディ。大代に乗るので新たな気持ちでのスタートの旅でもあるのだ。
でも、ここにはおめでとうといってくれるのは牛を追う犬くらいしかなく(当たり前や)実感のないまま警察署前をスタート。
しようとしたら、ゆっくり通り過ぎたパトカーがスリップしながらバックしてくるではないか。あやしい予感・・・
「あっ、女の方だったんですね」開口一番、警察官。まぁ、当たり前か、出ているところは目だけなんだし。「どこから来ましたか」「どこへ向かいますか」くるぞ、くるぞ。「何歳ですか」きたっ。
「・・・30歳です」今日なったばかりですとはさすがに言えなかったが。
それにしても、30代と言える最初の受け答えが事情徴収とはおかしすぎて、1人で声に出して笑ってしまった。

雪のトンネルのようになった道に関心しながら、サロマ湖を目指す。
そして、オホーツク海とサロマ湖を分ける三里浜、最初の目的地にやってきた。何度も地図で見ていたところに来ているとはなんとも感慨深げだ。
ここでは、流氷と凍結したサロマ湖の上を走ってみたかったのだが、流氷ははるかかなた沖合いにあった。まぁいいさ、とりあえず次は東を目指そう。

途中いくつかのポイントを覗いては見るが、国道から一歩入ると除雪されておらず歩くのもままならない。
自転車を持ってテントを張るのはもってのほかだ。迷いながらも日は暮れてくる。風が変わり、指先がジンと冷たくなってくる。何とかしなければ・・・。
でも、どこでもいいとは思えない。安全でかつ、サロマ湖の朝日が見えるところ、せっかくなら湖岸、加えて温泉と勝手な旅スタイルにこだわりが出てどれも外せない。
とうとう陽は沈んでしまった。止まり木探しの旅。
そうこうしているとサロマ湖畔で一軒宿の明かりにたどり着く。もう疲れきって一漕ぎもできないししたくない。
運良く眼下にはサロマ湖があるではないか。もうここしかない、ロビンソンクルーソーはこんな感じだったのだろうか(レベルは違うが、小学生のときに尊敬していた)。
手がかじかみ痛いのも、この地にたどり着けた喜びの方が大きく気にならない。かじかんだ手でテントを張る。
今夜は温泉に浸かってバースディを祝おう。


H16年2月9日
 早朝、テントから顔を出し辺りの様子をうかがう。気分は、出発前に見た植村直己写真集の世界。
私は、朝が始まる前のこの静けさが好きだ。何もかもがエネルギーをためこみ、発揮する瞬間を待っている、最も満たされた時間。
かっこよく一日が始まっているつもりなのだが、出発して早速1キロ先の道の駅で今日の戦闘計画を練ることにになる。
といいながら、実はテント撤収で冷えた身体に暖をとっているのだけれど。

 戦闘計画?で決まったことはとりあえず東に向かうこと、サロマ湖の東端にも回り道をしてみるということ、それで充分だ。
向かったサロマ湖の東端で賑やかな民宿街を抜けるとなんともひっそりしたたたずまいの漁港を見つけた。
よ〜し、ここなら胸に抱いた目的を果たせるかも!おそるおそるサロマ湖の上に自転車で乗り入れてみる。わーい、やったぁ。
チャリサロマ湖乗り入れ計画成功。なんでもないことがうれしくて1人ではしゃぐ。
ガスを取り出し、大胆にもこの上で昼食としよう。豪華なランチもいいかもしれないが、ここで食べるラーメンも最高に旅の味がしておいしいものだ。

ここでは、青い空の下で真っ白なサロマ湖が私を迎え入れてくれ、やわらかく共存している気がする。なんてうっとりするくらい居心地がよいのだろう。
鳥に魚をほってやっている猟師のお兄さんが「何で兵庫からわざわざ来てこんなとこでメシ食ってるんだ」と、いい笑顔で笑った。きっと私もいい顔をしているんだろう。

そうするうちに1日が終わろうとしている、向かったところは能取湖畔。吹きさらしだけれど、またまた疲労困憊で動けず、テント設営をする。
が、しかしこの後すぐに撤収することになる。なんと、能取湖荘のおかみさんが「オイデオイデ」と空き部屋を提供してくださったのだ。
こんな時期に外で寝るなんて信じられないとやさしい目が笑う。
これもまた旅、とご好意に甘えるがこういう温かさに触れると自分も人を大切にしていきたいと純粋に思えるのが、人のつながりのいいところなんだろうな。

外で寝るのも楽しみと思っているのに、久々にじっくりみた顔ははれぼったくふくれあがっている。
身体は正直なのだろう。おかみさんのこころづかいに感謝し、羽(おっと私は鳥ではなかった)を休めさせていただいた。


2月10日
 天気は上々、太陽も顔を覗かせている。今日は絶好の釣り日和になりそうだ。恐ろしくすばらしいことに感覚が麻痺してきてマイナス20度にもおどろかなくなってきている。

今日は、凍った網走湖の上にオートキャンプのように自転車で乗りつけた。私は、よく山には行くのだが実は海の側で育った根っからの?浜ッ子なのである。
ここ、凍結した網走湖上で(必要もないのに)自転車を横にセッティングし、釣りの腕前披露を(誰にやねん)するのだ。
ふと思い出したが、以前アフリカのキリマンジャロに自転車を担いで登るという話を聞いた時、「なんでわざわざ・・・」と思っていたが、今はその気持ちがとてもよく分かる気がする。
自転車あってのこの旅、切っても切れない仲でありこの旅スタイルが気に入っているのだ。
湖上にテントを張り、かなりリゾートな気分でコンロの準備をしながら、旅はやっぱり何をしたかじゃなく、どんなふうにどれだけ過程を楽しむかだよなと自分で自分に笑う。

 網走湖の上には、七輪を囲んでいるグループがいくつかあり、こっちでいうバーベキューなんだろうと思いながら私も釣り糸をたれる。
負けてられない、この時のためにわざわざ家からわかさぎてんぷら用にと、から揚げ粉も持ってきているし、油はポケットで解凍中、後は釣れるのを待つばかりだ。
マジモードで暗くなるまで釣り人と化した結果、さくっ、ふわふわ、ほくほく、はふっ、自前わかさぎてんぷらの一丁あがりは極上でこの上なく北の旅の味がした。最高!!

 後で知ったのだが、周りの人が炊いていた七輪は、炭焼きパーティ用ではなく暖をたるためだったようだ。その場で食べていたのは、多分間違いなく私一人だった。


2月11日
 寝ている間に解けだしたらどうしようかと少し不安だったが、昼間も大丈夫だったのでそんなはずはないかとそのまま凍結した網走湖の氷上で一夜を明かす。
もちろん解けだすことはなかったのだが、さすがに冷えが厳しく一時間おきに目が覚めていた。
体調が悪いのかとも思ったが温度計を見て納得、テント内でもマイナス15度にはなっていたので当然といえば当然かもしれない。

 今日は旅の最終日、MTBを梱包してバスで空港に向かう予定を変更し、急遽空港まで乗っていくことにする。
最後までドラマを感じ、わくわくしていたいのだ。もう少しで旅が終わると思うともったいなく、目にするものを胸に焼き付けておこうとゆっくりゆっくり空港に向かった。

 そして、到着した女満別空港。バンザイ、無事に到着。
なのに喜びよりも旅が終わってしまうさみしさの方が大きく感じる。
かといって、後数日行ってきてもいいと言われても、行くことはできないと思うのが不思議だ。きっと、この5日間がとても充実していて、燃焼しきったに違いない。


こうして私の2回にわたる夢のような日々は終わった。しかし、いつまでもこの情熱は心のどこかで絶えることなく火を燃やし続けるだろう。そしてまたいつか大きな炎になる日がくるだろう。