山も川も行こう>ひろちゃんのサハラマラソン日記「スタートまで」編
サハラマラソン日記 「スタートまで」編
モロッコへの乗り継ぎドーバー 生ぬるい風が異国だ!と 告げていた・・・ |
ウォーターではなく ビールに限る!旅は(笑) |
フランスから ランナーの格好は私だけ? 自分のスタイルを貫くことが大事(笑) |
息子達が書いてくれた シューズカバーでパワーUP |
モロッコだ〜っ! | いきなりトラックに収容され スタート地点へ移動となる・・・ |
砂ぼこりがもうもうと上がり、乗りこんだトラックの荷台がガゴガゴと跳ねる。
振り落とされないように必死でつかまりながら、荷台から頭を出す。見渡す限りの砂砂砂、そして空空空。
「砂や!」「砂ばっかりや!」「ヤッター!!」。
あぁ〜〜〜、ホンマにここへ来れたんや〜。顔は笑っているけれど、心はジーン。。。
ここは、モロッコのサハラ砂漠。
今回の目的である『サハラマラソン』のスタートは2日後というのに、すでに頭の先から足の先までレース仕様。
今にもヨーイドンッってかんじ。(ちなみに周りの人は、先ほど出発してきたパリ仕様。
スーツケースにブランド物の服。私はパリからこの格好なワケね)
思惑通り、モチベーションがどんどん高まってきた。さぁ、行くでーっ。
私、すごく走れそうな気がする。
この『サハラマラソン』というのは、サハラ砂漠を7日間かけて250キロ走るレースだ。
ちなみに、歩いてもOK。というのが、私にとっては一番重要(笑)
そして、このレースの最大のミソは何といっても、「自給自足」。レース中の食料は全て自分で背負うのがルールなのだ。
食料だけではなく、寝袋や遭難時用の発煙筒まで7日間必要な物は全て自分が背負う。
未知のサハラ砂漠、とにもかくにも楽チンなのが一番!ということで、荷物は いざ軽量化。
1gでも軽く!と、歯ブラシの柄は折る、歯磨き粉はナシ、固形燃料もナシ(湯は沸かさず水で調理する)
など徹底的にけずったつもりの私のザックも、水を入れるとギリギリ10キロかぁー。
ホント、1グラムにもこだわって、ゴミ袋一枚、輪ゴム一本、お箸選ぶのだって重量を測って選んでるんだもんね。やりすぎ?
けれど、レース中の7日間この背中の荷物が全てだと思うと、持っていきたいものはいくらだってある。
心を鬼にしないと、ついついあれもこれもになってしまいそうで。
荷物を背負うのは任せて!いつも子ども抱っこで筋トレしてるから!な〜んてわけには・・・いかないのでアル。
実は私、出発前までサハラマラソンに何の心配のカケラも、不安のカケラもなかった。ひたすら楽しみで仕方なかったのだ。
浮足立つ心と、にやける顔をしょっちゅう整えないといけなかった。それでも、1人になるとつい心はサハラに飛んでウキウキ、ニヤニヤ。
練習のつもりで申し込んだハーフマラソンさえも挫折しているのに、である。しかも、大きな声では言えないけれどロードは10キロしか走れない。
これで250キロのレースに出ようとするとは。
サハラ砂漠に着いて、うぅ〜むと唸った。
もしかしてちょっとヤバくない?(焦るの遅すぎっ。って、でも心配していたら来れなかったかも(笑)。)
日中は50度以上にもなるという中で毎日30キロから40キロ余り、夜もぶっとおしの82キロの日だってある。
制限時間内に帰ってこれるんやろうか。
でも、頭の中のネジはすっかりぶっ壊れてしまっている。
もっと荷物を減らすしかない!スタート直前、トイレットペーパーを日数分数えて切り離し(もちろん芯は抜いている)、
冬用の防寒シャツさえもザックから引っ張り出して預けてしまった。おいおい・・・。
ザックはいくらも軽くなってないのに、これでOK!なんて本気で思っているのだ。
結局、これは後から後悔することになるのだけれど・・・。
ペーパーは足りなくなるし、毎晩寒くて凍えまくりで、とほほーである。サバイバルシート(要はアルミね!)を体に巻きつけて夜をしのぎ、
トイレに起きた後は直す気力なんてなくてシッポみたいにぶら下がっている。情けねー。この姿、誰にも見せらんない。
それだけじゃない。
砂漠で水は生命線、なのに給水用のボトルさえ減らしてしまったのである。
私に残されたのは600mlのボトル2本、すなわち1.2リットル。
CP(チェックポイント)ごとの最大3リットルの給水は・・・贅沢にシャワーでも浴びよか!
速く走れば、水も消費カロリーも少なくてすむはず。(走れると思い込んでいる・・・)
食料も、決められた14000キロカロリー(1日に2000キロカロリー以上摂らないとペナルティがある)にギリギリやし。
砂漠で水と食料が切れるというのはどういうことか、ほんまに分かってるんやろか。と自分でもちょっぴり?アヤシイ。
体中がアドレナリンで埋め尽くされている。
ストックまで置いていこうとしたのだが、かろうじて理性がきいたのは助かった。
でもでも!私、これだけは言える。
どんな状況になっても、楽しめる自信が、アル。
例え苦しくても、好きなことをしている限り私はめげない、と確信している。
これが唯一ともいえる私の「武器」だ。
「思い返してみると 半年前にサハラマラソンに行こうと決めた時からドラマは始まっていた!と思う。
はっきり言って出発前の方が試練だったような・・・」
母になってからのこの5年、大好きな山へ自由に行けることはなくなった。
けれど、「いつか山へ」「すぐに動ける体でいたい」それだけを思って少しずつコツコツ走り続けてきたおかげで、偶然にもサハラマラソンに出会えた。
私の好きなトレイルランと登山が合体したようなレースに、「これや!」と直感。
なんとネットで調べるとエントリー締め切りは10日後・・・今からでも今年のレースに間に合うのだ!
大慌てで資料を取り寄せ、締切当日の9月30日、鼻息荒く大金を振り込んだ。エイヤッ!である。
エントリーしてから半年間、毎日走ると決めて24時間のうちの1時間か1時間半を充て、全くの手探り状態でトレーニング日記もつけた。
たった1時間?と思われるかもしれない。けれど、毎日というのはなかなかキツイもので、
途中からは子どもたちの隙を見てササッと家を出る技を身に着けていた。
けれど、実はエントリーしてからも、「スタート地点に立つことはないかもしれない」と、ずっと思っていた。
幼い子どもたちの病気やけがなどで行けなくなった時のショックを思って、テンションを上げすぎないように平静を装っていた。
もちろん頭の中はサハラでいっぱいだったのだけれど。
それが、出発が現実のものとなってくると、本当に行ってもいいのかなと思い始めた。実際に子守りを頼んでいる私の母も不安を口にし、渋い顔をしている。
出発を目前に控え、私は「うぅぅ〜む」と唸ってしまった。
それと、ついこの間東北で大きな震災もあった。私はこんなにノホホンとしていてもいいんやろうか、家族が行方不明の人も大勢あるのに・・・
などと思うものの明確な答えは出るはずもない。
行っていいんやろうか・・・出発間際になってぼんやりとそんなことを考える日が続いた。
そんな折、父親が私を一喝した。
「行ってこいっ!」「二度と行けんぞっ!」
そして、「子どもたちは負かしとけ」と。
出発数日前になってもウジウジしている私を見かねてのことだった。
怒鳴り飛ばされ、ハッと目が覚めた。
そうや、私には私の人生がある。今、目の前にあることを精一杯したらいいじゃないか。
幸い、子どもたちも元気でピンピンしているし、預けている間に泣こうがわめこうが多少のことは大目に見てもらおう。
あんなにも周到に準備し、あんなにも行きたくてエントリーしたサハラマラソンじゃないか!
よし、行こう。前を見よう!
リセットする時間はまだ充分ある。
本気で楽しむ気がないんやったら、行かんほうがマシや。
行くからには完全燃焼や!
それに、準備期間のこの半年間で今の私にできることはした、と思える。
「よしっ!サハラにいくぞぉぉぉーーー!」
夢の7日間が、始まる。
後半のサハラマラソンレース編は