山も川も行こうひろちゃんのサハラマラソン日記「レース」後編

サハラマラソン日記 「レース」後編

           
 スタートラインに立つ
ゴールよりここに立つことが
感動的かも・・・
 15回!!参加の
順子さんと・・・
燃料なし。お湯はわかさず水で
調理してた。
 いつもゴールで待っていてくれる
スタッフのアミームと
 朝陽は凄い!
元気がみなぎる!
ツライ!時の自分をセルフ撮りで
残す!
この一瞬を忘れない!

 

 

日  程  平成2343日〜9日(7日間)

走行距離  250キロ

 

レース1日目 33キロ43日)

「よっしや、行こう!」。

握りこぶしを「よしっ」と胸の前で握りしめる。

じわじわと湧いてくる実感に、スタート地点が涙でぼやけた。はははっ、私、ちょっとセンチな気分。

「ホンマに来れたんや」「私は幸せモノや」

私は周りの人に支えられて今ここにいる。

もちろん家族も初めから応援してくれたわけではない。

心配も迷惑も、思いっきり頭を下げて目をつぶってもらった。

けれど、結局のところは家族が最大限に協力してくれたからこそ、スタートに漕ぎ着けている。私がサハラに来れたのは家族のおかげ以外にない。

「ありがとう」。絶対揺るぐことのない気持ちが産まれた瞬間だった。

そしてまた、この気持ちを支えにしている。

 

スタート地点に立てただけで満足、来てよかったなぁー。な〜んて、今からやんっ!

さぁ!サハラ砂漠を思いっきり駆け抜けるぞー!

「わぁぁぁ〜マジで砂漠走ってるデ〜」

行けるだけ行ってしまえーーーいっ!

 

なんてなんて、甘いっ!

どこまでも走れそうな気がしたのはつかの間、早速砂漠の洗礼を受ける。早すぎ〜。

20キロも走ると周りもだんだん歩いたり走ったりになってきて、今はもう私の周りで走っている人はいない。

初日くらい元気で乗りきれるだろう、と軽く考えていたのだけれど・・・。

眠い。とにかく眠い。すさまじい眠気が襲ってきたのだ。

足を運ぶたびにさらさらと足元から砂が崩れ落ち、足がずり落ちる。進まない。

意識がフワッと遠のく。

もう限界や。

私はついにその場に座り込み、膝を抱えたまま眠った。

ここは13キロにもわたる砂丘のど真ん中。

通り過ぎるランナーが口々に「OK?」と尋ねてくれるけれど、「OK」以外になんと答えるのだろう。

翌日分のアミノバイタルも飲み、膝の間に頭をのせる。明日はまたあさっての分を飲んだらええやん、今をしのぐことしか考えられない。

それにしても、いったいいつになったら砂丘から出られるのだろう・・・

 

サハラマラソンが自分を考えるいいきっかけになればいいと思ってきたけれど、そんなこと考えてられるかいっ!

「CP(チェックポイント)はまだ?」「あの丘を越えたら見えるかな」「何時頃に着ける?」

100パーセントそれしか考えていない。そして景色を楽しむどころか、見えないゴールをずっと探している。

 まだサハラマラソンの第1日目が始まったばかりだ。

 

 やっとのことでBC(ベースキャンプ)にたどり着いたはずなのに、つい先ほどまでのしんどさはすっかり過去のことになって
「砂漠はいいのぉ〜」「明日はどんなんかなー」な〜んて。

ノーテンキな性格でよかった。

テントの中でフツーにご飯ガツガツ食べて味噌汁飲んで、ごろごろしながらサハラ砂漠に沈む夕日をあびている。
(夕日は見てない。ぐうたらしてテントから出られないわけね)



今日1つ、心配なことが判明した。

むちゃくちゃお腹がすく、ということだ。シュラフにもぐり込みながら、どうすればゴールまで食料を持たせるか真剣に考える。

けれど、頭は全く回らず気が付くと真夜中。あまりの寒さで目が覚めた。
防寒用の服は軽量化のためスタート地点で置いてきてしまっている。OH NO!

 

 

レース2日目 38キロ

バケツの砂を頭からぶっかけられる、といえば分かるだろうか。

ワカンネェダロウナァ〜

正に砂漠の洗礼、砂嵐がドッババッババババーーーーンンンと荒波のごとく吹き荒れたのである。

砂かけババァなんて比じゃない(と思う)。

ワンディのコンタクトを入れようとしてもコンタクトが砂で埋まってしまう。もちろん、サングラスなしで目を開けるなんて不可能。
あ〜、耳が砂で埋まる〜。綿棒くれ〜っ。

そんな中、地元民のベルベル人が襲撃、じゃなくテントの撤収に。私たちのテントは一番端っこなので一番先に荒野に放り出されてしまうのだ。

テントを出ると、もうしのぐものは何もない。砂嵐がヤッケに当たってジャージャーと音を立てている。

風下を向き、立ったまま背中を丸めてご飯を口に放り込む。アルファ米の袋をササッと開けて、下を向いたまま素早く口も開けて閉める。
それでも、砂が口に入ってジャリジャリするのだ。

もーーーーーぅ!こうなりゃ何でも来――いっ!。(逆ギレ!)

ハハハーッ、私は悪路悪天候ほど燃えるのだー。ボボボボーッ!(←コレ ホント)

スタート地点のテンションの高さは外国人にも負けてなかった、とオモウ。

 

というのに・・・

今日もまた、暑さと疲労のピークが重なる午後2時ごろ、眠さでまっすぐ進めなくなる。

右へ左へと足がふらつき、頭もぼんやりする。あかん、意識が飛ぶ・・・ヤバイな、ヤバすぎる・・・。

どないしたらえんや・・・。

だんだん息苦しくなってきて、やっと気付いた。

これは『熱中症』や!

立ち止まり、ザックからスポーツドリンクの粉末を出して飲んだ。この状態で、スポーツドリンクの存在に気付いた私はエライ。
本当にエライ。スバラシイ。天才!

ウソみたいに目の前がスッキリし眠気が飛んだ。シャキーン、復活!

大会側から支給されたソルトタブレットを1時間に1錠は飲んでいたからまさか熱中症になるとは・・・。

オーバーペースによる疲労かハンガーノックかと思ったのだけれど。

恐るべし、砂漠。

 

このサハラマラソン、初めてがいっぱい、出たとこ勝負なのだ。何を隠そう、走行距離だってスタートから20キロほど走っているのが、私の最高走行距離なのだ
(そんなヤツおらんやろー)。

毎日最高記録更新を目標にしつつ・・・。なーんて。

もともと登山が好きなので荷物を持って歩けるけれど、背負って走るのは今回が初体験。しかも、ロードの最高走行距離は10キロ!。
トレイルランは好き、というだけで、大会に出たこともなくタイムを測ることもなくジミーに小走りしてるだけ。

なので、このサハラで荷物を背負って連日20キロも走れる自分に感動、なのである。
(本当にお恥ずかしい。けれど、密かに?なかなかやるやん!と思っている私)

ま、「走ってる」とは言っても、欧米人の速歩と同じスピードなのであしからず。なはは〜

 

いやはや、それにしてもトリプルカーボ(スポーツドリンクの名前)は、命の水や!というのも、翌日からトリプルカーボを飲んでいると熱中症になることはなかった。
ブラボー!

 

BC(ベースキャンプ)に到着。

シューズを脱ぐと、2日目にして巨大な水ぶくれがデデーン!

マジですかい!?  しかも、3か所。

なんでやー、マメ予防クリームを1カ月前から塗りたくってきたというのにぃ。効果ゼロ。

見物がてらとメディカルテントへふらっと行くと・・・いきなり足を上げた状態で寝ころばされ、なんと目の前にはシャキーンとナイフがっっ!

「NO!NO!」「Help Me〜〜〜(涙)」

アワワワワッなにするねんっと、取り乱す私。いや、フツー取り乱すやろ。砂漠のど真ん中で「シャキーン」やで。

隣で寝ている人はケロッとしている。「大丈夫、楽になるよ」と青い目で説得され、私の足はメスで水泡を切り、水を絞り出し、
消毒されてテーピングでグルグル巻きになった。ヘイ、イッチョウアガリ!ってか。

マジでどないすんねん、コレ。

この足で後5日間走るのかと思うと、さすがの私も「う〜ん・・・どうすべ・・・」。どうやら、マメと最後まで付き合うことになりそうだ。

説得してくれた隣人、マークとはその後会うたびにマメを自慢しあう仲になったのである。

ちゃんちゃん

 

 

レース3日目 38キロ

キタキタキタキタ〜ッ マッテマシタ〜ッ

サイコーーーーーーーッ!!

3日目にして体が砂漠に馴染んだのが分かる。

『イッツ 砂漠化!』

ハネムーンで行ったユーコン川を思い出した。3日目にユーコンの静寂が現れて、7日いたらユーコンのとりこになった。

サハラも、3日目にして砂漠と一体化している!!

 

砂漠を走ることに陶酔し、CP(チェックポイント)がまだかと気にすることも全くなく、ひたすら楽しい。

コースもかなり私向きの悪路。要は、蟻地獄のような足がずり落ちまくる砂丘、そして激登り激下りね。

一番お気に入りは砂丘の下り。こりゃ走らずにいられません、ヤッホホーイッ!笑い転げながら、外国人の選手ともタッチタッチタッチ!

こりゃパウダースノーではなく、パウダースナ〜!気持ちい〜い!

ははは〜、笑いが止まんない。これって砂漠ハイ!?

 

気持ちの余裕も出てきたようで、砂漠に咲く花がいとおしく、しゃがみこんでシャッターを切る。もちろん私も撮ってあげたり撮ってもらったり。

「毎日会ってるんだよ」というオジサンや、CPが見えるたびイエーイを交わす美人。だんだん顔なじみも増えてきた。

日本人のトールクンも連日抜いたり抜かれたりするうちの1人。

長距離も走るという彼の後ろに付かせてもらってると、脱力系の走りに「走るってこんなに楽やったんや」と目からウロコ。

私のマラソン人生(大げさすぎ)を変えた一コマ。

いつまでも走れる気持ちになる。

「私、いい状態に入っているな」。

そして、トールクンを追い越し、大空に向かって胸いっぱい深呼吸をした。

気持ちいい。

 

 

BCに戻ってテントでぐだぐだしているうちに、「砂漠マジック」が切れる。

痛い。痛すぎっっっ。

歩けない。本当に、足のマメやら爪やらが痛くて痛くて歩けないのだ。
踵だけでヨチヨチ、暗くなるのを待って最低限トイレだけ行く。テントのすぐ側で。。。スンマセン。。。

両方の小指に360度水ぶくれ、爪の下まで水が溜まって爪が剥がれかけてグチャグチャ。他の指も負けてはいない。
小砂利の上を歩くと、痛みで「ウッ ウッ」と声が出てしまう。

この足で、この気温の中で、砂漠を走っているとは。

私って「ナカナカ ヤルナァ!」。

 

実は今日、シューズのインソールを抜いていた。

痛む指先がシューズに当たるのを避けるためだ。けれど、インソールを抜くと膝がヤバイ。明日はどんな作戦で行こう・・・。

テントに戻るとひたすら足と格闘している。インソールを入れたり出したり、紐を調節したり包帯を巻いたり外したり。

トイレに行きたくても、一歩を出すのに何分もかかるくらい痛みは激化してきている。

夜中、とうとうあまりの痛さにぶち切れた。「くそーっ!」「こんなに痛くて走れるかいっ!」「自分でどないかするしかないわいっ!」

ムクッと起き上がると、ベリベリッ!メディカルでの包帯をすべて剥がした。

フンッ こうなりゃ独自療法や。

皆が寝静まってから1本ずつ安全ピンで水を抜いていく。触ると「ウーッ」と声が出て心臓がキューッとする。1つ終わるとハァ〜とため息。
ウーウーフーフーキューッハーッである。

とにかく明日少しでも長く走りたい。どうしたら最善か、明日を乗りきるにはどうしたらいいか、そればかり考えている。

多分、いや間違いなく・・・私はそうしていたい・・・のだろう。

 

今日の夕方、ゴールしてテントに戻ってきたトールクンが言った。「どうしてあんなに楽しそうなんっすか?」「あの背中忘れません」って。

ありがとう。私もまた、その言葉に明日への勇気をもらっているのである。

「よぉーしっ 明日も楽しむぞーーーーいっ!!!」

 

 

レース4日目〜5日目 82キロオーバーナイト

何度頭の中で電卓をはじいたことだろう。答えなんて出るはずないのに。

82キロをゴールするには何時間かかるか、未知の世界に突入だ。

 

悲しいことにロングコースになるとコースが平坦になる。マラソンだから平坦なのは当り前といえば当り前なのだけれど。
砂漠イコール大砂丘と思っていた私(出発前、事務局にサンドスキーの板を持って走っていいか尋ねてあきれられていた)は、
どこまでも見渡す限りの平原になるとあまりの単調さにテンションを維持するのが難しくなる。

炎天下の中、何もない所を何十キロも何時間も一歩ずつ足を出す作業を繰り返すことにあきてしまうのだ。

今日の私は、もっぱら歌を歌うことに専念した。

今回のテーマソングはというと 「娘さん〜 よーく聞けよ  山男にゃ惚れるなよ〜」  な〜んていう昔の山の歌。

砂漠はなぜか新しい歌よりも古い歌がよく似合う。(新しい歌は息が続かないのね)

周りは誰も歌詞が分からないのをいいことに、歌いまくりなのだ!音痴なのもお構いなしである。

人がいるところではわざと大声で歌ったりして。カラゲンキでも振りまかなくちゃやってらんない。

 

唯一制限タイムがあるCP4に着いたのが20時。タイムアウトは翌日の1時だ。

いつでもどこでもしっかり食べるがモットーの私は、今夜の夕食をここでしっかり食べた。アルファ米の五目御飯だけでなく、カップ麺までたいらげ、ふぅ満足。
お腹ペコペコだったのだ。

ここまでの約50キロを11時間動き続けている。案外元気だけどちゃんと休憩して行こう、そんな気もあった。

けれど、ここで不正出血してびっくり、ドクターテントに立ち寄る。自分が知らないところで体は悲鳴を上げているのかもしれない。

 

ちょっとゆっくりしすぎたなと思いながら、ザックを背負った時トールクンが入ってきた。

「待っとこうかな」という思いがチラッとかすめる。けれど、もうザックも背負ったしと手を振って次のCPへと向かった。

けれど、1キロも進まないうちに激しい後悔が全身を襲う。「待っとけばよかった・・・」

眠い。

とにかく眠くてたまらない。

お腹いっぱいまで食べたのもよくなかったんだろう。食いしん坊がこんなところで災いするとは・・・。

プリーズ日本語!プリーズ話し相手!

片言の外国語では会話もつながらず、眠気さましにはならない。

とうとう進むことも戻ることもできなくなり、その場にザックを放り投げその上に頭を乗せた。要は、地面に寝転がったのだ。

「Are you ok?」いくつものライトが私を照らす。

そうやっていくつかのライトが通り過ぎた後、とうとう明るい光が顔を照らしたかと思うと、抱き起されザックも持ち上げられてしまう。「together!

そりゃ、行き倒れてると思われるわなー。

行き倒れてるんだけど。

でも今の私には有難いような、有難くないような・・・。

いや、それにしても人からこんなに気にしてもらうことってあるやろうか。人をこんなに気遣えることってあったやろうか・・・。

とにかくコース上で寝るのはあきらめるしかない。それならコースから外れてでも寝転がりたい。けれどもし起きれなかったら?失格?遭難?うぅーむ。

ということは、何とかしてこの先のCPまでたどり着くしかない。このフラフラ状態で残り12キロ・・・・・・・・・・・。

シャンデリアのように四方を包みこんでいる星空に感動すらしない。(でもなぜか、レース後もこの星空を鮮明に覚えている)

後方から何度も「Right!」「Left!」と声がかかる。よくどこかに行ってしまわなかったもんだ。

気が付くと、前にも後ろにも明りは見えず、砂漠でたった1人。動けなくて立ったまま眠る。いったい私はどうなってしまうのだろう・・・。

とにかく1歩ずつでも進むしかない。この時の1歩が、どんなに大切で大きく感じたことか。

 

ふとひらめいた。

ピットインゼリーを飲もう。そう思った時、ちょうど砂丘に入る。

私にはすごい運が付いているのだと思う。

起伏あるコースとピットインゼリーのおかげで奇跡的に回復、残り1時間の砂丘越えを見事?目を見開き歯を食いしばって速歩で歩ききった。

助かった・・・大げさだけど、CPにたどり着いた私は、まさにそんな気分だった。

休憩テントに行くのももどかしく、ザックからマットもシュラフも引っ張り出してもぐり込む。何を考える暇もなかった。
(出発2日前に目覚まし付きの腕時計を購入していたのだけれど・・・)

 

 

「ズクンッ ズクンッ」

膝から下のものすごい痛みで目が覚めた。足のマメと爪からだ。

AM2時30分。

恐ろしい痛みに自力では動かせず、膝の下に手を入れて少しずつ足を持ち上げて動かす。

微動だにできず、自分がその場に存在することさえツライ痛み。

這いずるようにドクターテントへ行くと、寝ぼけまなこをこすりながらも「感覚はあるか」と何度も尋ねたドクターは私をまっすぐ見、
真剣な眼差しで「Very Very Bad!!」と恐ろしい顔をして言った。

さすがにノーテンキな私も「足、切らなあかんのんちゃうか」と、頭をよぎったくらいだ。

 

くそーーーーーーっ!

でも、この足で後21キロ進まないとテントに帰れない。

行くしかないのだ。

痛み止めを2錠、口に放り込んだ。行くしか、ないのだ。

それでも動けず、吸い寄せられるように焚き火の側に座り込む。寒さで凍えきった体に、焚き火の温かさが沁みわたる。

「朝までこうしていてもいいかな」砂漠のど真ん中で四方八方を星に囲まれ、焚き火が私を誘惑する。

けれど、「動いている時にサハラの朝陽を見たい」、何の根拠もないそんな思いが背中を押し、またまた私はたった1人で闇の中へと出発したのである。

なぜか、その方が感動する気がしたのだ。

 

後、2時間頑張れば夜が明ける。

行こう、最高の状態でサハラの朝陽を浴びるために!

 

けれど、甘かった。あっという間に本当にあっという間に甘かったと痛感する。

眠い。

本当に眠い。

ザックを背負ったままその場に座り込んで眠る。

→来た人に起こされる→付いていく→置いていかれる→眠る→起こされる→付いていく→置いていかれる→眠る

延々と繰り返す。

真っ暗やみの中、ふと目が覚めるとどこから来たのかさっぱり分からない。そしてまた、次の人が来るまで眠る→起こされる→付いていく→置いていかれる→眠る

どれだけ繰り返しただろう。

 

朝陽をどれだけ懇願したことか。

待って待って待った。何度も空を仰いで、薄い光が空の一遍に見えないか確かめては進んだ。

ふと気が付くと、ようやくようやく空が白み始めている。やっとやっと待ち望んだ朝が来るのだ。

決してこの日のサハラ砂漠の朝焼けが格別に美しかったわけではない。

けれど、私はこの朝焼けが目に焼き付いて忘れることができない。

振り向いて何度もシャッターを切ったけれど、思い返すのは写真ではなく、あの生々しい太陽と白んだ空だ。

これを感じるために、サハラ砂漠まで来たんだという気分にさえなる。

すごい。朝陽は何物にも代えられないパワーを秘めている。朝陽を浴びて全身から力がみなぎってくるのが分かった。

 

 

それにしても遠い・・・。

どれだけ進めばゴールに近づくのだろう。蜃気楼が出そうなくらい果てしなく続く暑い大地、気が遠くなりそうになりながらセルフタイマーで自分の姿をカメラに収める。

とてもとても大切な一枚になるだろうと確信しながら。

 

そして、朝の9時、スタートからちょうど24時間後、私はBCのテントに辿り着いたのである。

このオーバーナイトステージのゴール、きっといつか何かにつながるんだろうな、そんな気がする。

 

           
 ゴールは果てしなく遠い  スタート直前まで足のケアを
なんとかして走りたい!
 ボロボロになった足・・・
人間ってどこまでがんばれるんだろう!
ゴールすると翌日までの水をいつもテントまで運んでくれたスタッフのアミーム。ありがとう! 長くて短い旅だった・・・
飯田さんは75歳とスーパーウーマンなのだ!
ゴール後・・・
感動もそこそこに腹へった〜(笑)い

 

レース6日目 422キロ

80キロの翌日にフルマラソンかよ〜って、でももうどんなことがあっても驚かない。

今日は初めからキレ気味だった。「あらそう、42キロか」ってな軽いノリ。距離にも鈍感になっているのだろう。

今日は42キロ、でも今日さえ乗りきれば明日は最終日。捨て身の覚悟で走ろう!と心に決める。

今日が終わってしまったら、明日しかないのだ。

もったいなく、やたらとさみしい。

 

序盤、お腹の調子が悪く何度も木陰を探して立ち寄る。テンションが高い割には調子が出ず、走っては止まり、を繰り返している。

と思っていたら後半に急上昇!

いつも後半は体が動かなくなり歩いていたのが、今日は30キロ過ぎで同志のKクンに追いつき「行くデーッ」と肩に手をかけると、「ついていきますっ」。

そしてまた2人で走り始めた。

スタート地点から230キロ。私、ここまで来てまだ走ってるでーーーっ!!

 

ラブラブの彼女の話、マイダーリンの話、好きな映画の話、とりとめのない話題で盛り上がりながら走り続けている。

不思議なことがある。

「いい状態に入っているな」と思う時、真後ろの肩の辺りに気配を感じる。Kクンかな?と振り向いても、彼は数歩後ろを走っている。
そういえば、オーバーナイトの時にも同じようなことがあり、何度か振り向いていた。

全ては後から思えばなのだが、1人じゃなかったのかもと思う。

テントに帰り、この話を同じテントのサハラマラソン最高齢者(76歳!)のIさんにすると、アッケラカンと「あるよ」と言っていた。

私は、私の知らない所で守られているのかもしれない。もっともっと正直に生きたい、と思った。

 

一時間以上走り続けそろそろゴールを目で探し始めたころ、突然Kクンが言う。

「ルール決めましょう!」

「ゴールが見えたら走る!」

「ワハハー」「いいねー、ソレ」

笑って2人で歩き始めた。

そして、やんちゃなポーズを写真に撮り合って遊ぶ。

ずっとずっと今でもいいな、そう思う。

そして見えた42キロのゴール地点、私たちはカメラを交換した。

「ゴールまで走りましょう、約束ですよ!」そう言って、ランナーKクンは片手を上げてスパートをかけた。

「GOOD LUCK!」

この言葉を何度レース中に交わしたことだろう。

 

砂漠はゴールが見えてからが長い。

何度も歩こうかなと思うけれど、約束を思い出して走る。少しずつゴールが近づき、私はKクンがカメラを構えてくれているゴールに向けて最後の力を振り絞る。
仲良くなったスタッフのAMIMEが私の名を呼び両手を広げて迎えてくれている。そして、私はAMIMEの腕の中へ飛び込んだ。

やったぁ!!

AMIMEのハグとキッスを受け(なんで外国人の男性とはこんなに違和感なくハグできるのかしら?)、Kクンマジックに感謝する。あっという間の42キロだった。

この日の気温、手元の気温計で54度。(!!)

なぜか、暑さは感じなかった。

それほど、前しか見えていなかったのだろうと思う。

 

 

レース7日目 17、5キロ 最終日

今までからすると、たった17.5キロのはず。

なのに、足が動かない。

なんで?

ありったけの痛み止めを飲み、ピットインゼリーも2つ飲んだ。

「これで走れるはず!」

だが・・・気持ちはゴボー抜きなのに体が動かず、振り向くと最終ランナーが見えそうだ。

どうやら本当に昨日で使い果たしてしまったらしい。

もどかしい・・・。

けれど、こうなればアクセクしても仕方がない。景色を楽しみながら行くとしよう、と腹を決めた。

家に持って帰る石を探しながら歩くとするか。

なんか、今日が一番キツイかもなんて思う。

ふぅぅ〜・・・。私は空を見上げ、真っ青な空の写真を一枚撮った。この一面青い写真を見たら今を思すだろう、そう思いながら。

 

ゴールは目の前だと言うのに、道路に出ると舗装が足に響く。しかも、照り返しやら砂ぼこりやらが砂漠よりも格段にうっとうしく感じる。

何で砂漠に来て苦手なアスファストでゴールせなあかんねんっと、半ば怒りギミだ(ほんまは結構怒っていた)。
パウダースナーの砂丘が本気で懐かしい。砂丘にいるときは、あまりにも砂丘だらけすぎて当り前になっていたのだが。

ふぅぅ〜。ボロボロの体には、残り2キロがやたらと長い。

ため息をつきそうになっていると、後ろから誰かが覆いかぶさってきた。

トリヴァンだ!

毎日会わない日はなく、抜きつ抜かれつしていたトリヴァンも足を痛めて見るからに痛々しい。

「ヘイ 一緒にゴールまで走ろう!」

「ワォ!」

手を取り合い、見守る人たちにやんやと喝采を受けながらゴールを目指す。不思議なものだ、2人なら走れる。

とは言っても、2人ともつないだ片方の手でストックを着き、しゃくとり虫のように体をくねらせている。汗でニュルニュルと滑る手を何度も握り直しながら。

 

そして、つないだ手のおかげで250キロのゴールに走って(歩いているのとスピードは変わらないけれど。気持ちが大事!)ゴールッ!!

両手をバンザイし、思わず口が「ワーッ」と奇声を発している。もちろんハグハグ!

ハハハーッ やったぜー!

 

「コングラッチュレーション!!」心から自分に。

そして、こう言おうと決めていた。

 

「I am  HAPPY!!」

 

 

 

サハラマラソンが終わってみて・・・

早速チーズやパンにかじりつきながら(このモロッコパンが激ウマ)、もったいないなぁ終わってしもたとゴールを眺めている。

もっとさみしくなるかなと思っていたけれど、「終わった」という現実を真正面から受け止めている私がいる。精一杯やったと思えたからかもしれない。

それにしても、この足で7日間走り続けた(まだ言うか!歩いてるっちゅーねん)私って、すごいなぁ〜。な〜んて。

 

スタッフに、サハラを共に過ごした友人たちに、そして家族にありがとう。

今この場に居れる私は幸せ者だ。

ほんまに、「I am  HAPPY!」

 

 

「楽しくてたまらんかった」と思っていたサハラマラソンやけど、案外大変なこともあったんやなと書いてみて思う。

レース中は、全く大変やとは感じていなかった。

もともと「マッシグラ」な私。大変だということに気付けず、とんでもない状態になることも多々・・・。
今回も、どうにかして前に進むことしか考えていなかった。ま、前向き思考といいうことで(笑)。

でも、きっと「ラク」なことが「楽しい」ではないんやろうな。

「今」に精一杯向き合えた幸福で濃密な7日間やった。

 

この7日間で新しい私に出会えればいいな、なんて思っていたけれど、案外何も変わらん自分とちっぽけな私を発見しただでした(笑)

サハラマラソンをゴールしたら人生が変わるとかいったりもするけれど、人はそんなに簡単に?変わらないんかもしれない。

それよりも、1日1日を大切に積み重ねていったらふと何かに気付く時があるのかもしれないな。

この度も、子育てしながら「いつか山へ行きたい」と思ってコツコツ走ることを続けてきた先に、たまたまサハラマラソンがあったように。

たまたまとか言っているけれど、少しずつでも走っていたからこそ今があるんじゃないかなと思ったり。

例え小さなことでも、全ては次につながっていると思うから。

 

私はまた、日々模索しながらどこかへ向かって進んで行くんやろうなー。(もう やめてぇ〜 ←家族の叫び)