山も川も行こう>ひろちゃん ユーコンを行く
ひろちゃん ユーコンを行く 2004年9月12日〜23日 ジョンソンクロッシングからテスリン川をスタートしユーコン川に合流。リトルサーモンまでの約300キロをカヌーで下る 隊員は、カヌー歴数日の私ひろちゃんとくんちゃんのおぼつかない二人さぁどんな旅になるでしょう?行きまひょか、旦那様。 |
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コース地図詳細は | |||||
9月12日 関空〜バンクーバー〜ホワイトホース 今日は日曜日のためホワイトホースのスーパーは6時で閉まってしまうというではないか タイムリミットは30分、大急ぎで明日からの食料の買出しに店内を走る 川地図は数が少なかったが、ラッキーなことに手に入れることができた。本屋は9時まで開いていたのはラッキーだった 9月13日 距離:約15キロ 時速:5キロ弱 午前11時:ホワイトホースを車で出発しジョンソンクロッシング到着が12時30分頃 ここジョンソンクロッシングのテスリン川から、ユーコン川に合流するまで約180キロ。 夢にまで見たユーコン川に向けて今出発する。雨が降っていて寒いが現地ではサマータイムらしい PM2時45分スタート、6時にキャンプを張る とんでもないことにベアスプレーを、レンタルしたカウンターに忘れてきてしまった 9月14日 距離:約44キロ 時速:約6.5キロ AM9時15分出発→PM4時到着 またまた雨で寒い。周りの山の上には雪が積もっている キャンプ適地にクマの足跡が散在していて、テントを張れる場所を探して4ヶ所も移動したが足跡のないところは見つからなかった 9月15日 距離:約34キロ 時速:約7.7キロ AM9時20分出発→PM1時45分到着 朝方は氷点下、今日は氷も降ったが夕方には上がる まだ、カヌーはうまく進まず蛇行を繰り返しているが気分はいい 焚き火もうまくついたし初めてカナダで魚を釣りあげ晩御飯にする。これはウマイ! 9月16日 距離:約32キロ 時速:約8キロ AM9時05分出発→PM2時45分到着 とうとうユーコンの静寂が現れた 青い空が広がりゆったりとしたユーコンタイムが流れる 湿ったシュラフも長靴も干せて快適だ 9月17日 距離:約32キロ 時速:約8.3キロ AM10時05分出発→PM2時05分到着 周りの景色も大きくは変わらず少し中だるみギミ。北風が入り思うように進まないため一生懸命漕ぐ キャンプ地近くの朽ちたログハウスは、手元の地図の写真ではまだ屋根がある。私達の地図は一体いつのなんだろう。 9月18日 距離:約27キロ 時速:約6.5キロ AM10時40分出発→PM3時20分到着 一気に水が澄み流れが変わった。とうとうユーコン川と合流の瞬間。動けないほど感激し叫ぶ。 「やったぁ!ユーコンやっ!!」 ちょうど合流地点の左岸、フートアリンカは開けたキャンプ場。テーブルや椅子も完備している。 ここもグレイリングが入れ食いだった。彼は3投3釣であっという間に食料を確保する。 スタートから184キロ。 9月19日 距離:約54キロ 時速:約12キロ AM9時30分出発→PM2時30分到着 ユーコン川と合流して流れが速くなった。 今日はビッグサーモン川と合流地点である廃村、ビッグサーモンビレッジでキャンプ。 ここは土なのでカヌーが付けにくかったし、荷物を運ぶのもいつもより少し遠い。水量が少ないせいもあるかもしれない 9月20日 距離:約58キロ 時速:約12.8キロ AM9時30分出発→PM2時30分到着 今日はなんとクマを見た。足跡は毎日見ているが。 終わってしまうのがもったいなく、ただ ひたすら漂うことに徹する。ケンカして彼が漕ぐのを放棄したというのもあったが。 そして出発以後、初めての道路が交差する場所、リトルサーモンに2人そろって無事到着した 9月21日 ピックアップにてホワイトホースの空港、そしてバンクーバーへ |
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荷物の重さは 旅の重さ!関空にて |
ホワイトホースの スーパーで買出し |
おどけるのは このくらいにしてと |
出発の準備・・・ 「ハイハイ!」 |
ジョンソンクロッシングのテスリン川から出発 | |
メチャ大きい クマ吉の足跡 |
と思いきや クマ吉発見・ドッキ! |
食料はこうやって 河底に沈めてと |
心身共に温まる 焚き火・サイコー! |
ムースハンターが ライフル片手に 少し怖かった |
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さすが 元プロの釣り吉 |
浜っ子の 私だってホラ! |
気分は料理長 結構目は真剣? |
朽ち果てた 小屋跡 |
無事下り終えて・・・ でも我々の旅は 始まったばかりだ |
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ユーコン イン ハネムーン物語 (ひろちゃん ユーコンを行く) 9月13日 1日目 「ホワイトカヌー いず ハネムーンカヌー イェイ!」親指をつきだし、笑って指差された線路の向こうにそれはいた。 大きなトレーラーにつながれ、雨に打たれながら。「ワォーゥ!!」私たちは子どものようにそのカヌーに駆け寄っていった。 ここは野原にただ2本の線を引いただけ、電車は通っているんだろうか。 このカヌーに乗り、ユーコン川にこぎ出す、夢にまで見た日々。私たちは興奮しきっていたと思う。 とんでもないことが発覚したのは、ジョンソンクロッシングまで送ってもらい、今にもこぎ出す瞬間だった。 昨夜のホテルの冷蔵庫に今夜のおかずのハムを忘れた。いや、そんなことはどうでもいいとしよう。 ユーコンに行くには三種の神器?とも言われるベアースプレーを一番初めにレンタルした。 しかし!店のカウンターに忘れたのだ。 あぁ・・・銃を持たない私たちにとっては身を守る唯一の道具ともいえるベアスプレーが。 持った?持ってない。持った?持ってないよ・・・。 お互いそれ以上のことは言えない。 売ってもらえる所をあくせく探すが、こっちの人は銃を持っているとかで、ベアスプレーは売っていない。 あぁ、もうここまで来てしもた、引き返すなんか考えられへん、行くしかないやろ。300キロ余り。 ここから目的地のリトルサーモンまでは、川と交差する道も村もない。エスケープルートがないと言っていいと思う。 「途中で会う人から譲ってもらうか・・・」人に会うことなんてほとんどないのは彼も分かっているだろう。 子ども騙しみたいに自分に言い聞かせている彼に返事もできないまま私たちはテスリン川にカヌーを下ろした。 ゆるやかな流れが身を包む。ベアスプレー事件も雨も吹っ飛ぶくらい、私は川にこぎ出したことがうれしい。 何はともあれ、ここはユーコン川!カヌーの上でビールをぷしゅっと開けた。夢だったんだよなー、カヌーの上でビールとチキンラーメン。自分に酔ってるんだけど実はノンアルコールビール、気分だけがさすらいの旅人。 しかし私の甘い期待は外れた。一日何もしないでもカヌーは進むだろう、のんびりしようと思っていたのに、流れがない。 しかも、寒くてじっとしていられない。漕ぐしかないやん!! とは言っても、私はカナディアンカヌーは初体験である。まぁ、カヌー自体にも数回しか乗ったことがないツワモノ?だ。 彼はといえば、以前に所有歴はあるものの、釣りで使い物にならなかったとかで3回使用で売っぱらったらしい。 どう考えても二人とも度素人なわけだ。 「右ばっかり漕ぐん?」「2人一緒に漕ぐん?」「俺のまねしたら進むわ」あーだ、こーだ大騒ぎをしながら3時間ほどが過ぎた。 とりあえず今日はこれくらいにして岸に付け、私たちの唯一のたよりである熊スズをジャンジャン鳴らしながら、テントの設営を。 ようやくそのテントを張り終わった頃、見てしまった!見つけてしまったのだ!。 見たくない、信じたくない。 でも、でも!あったのだ、やっぱり!岸に上がったときには見つけられなかったのに。しっかり残る爪痕。 しかも、河原の石の間に1つや2つじゃない。クマのそれだ。 進むか、止まるか。選択肢は二つ。次のキャンプ地まではまだかなりある。こわい、けれど私たちは何だか疲れていた。 はやくゆっくりしたい。そして、2つの決めごとをして後者を選択した。 @今晩の煮炊きはやめる A食べ物とテンとはできる限り離す パンとメイプルシロップを水際でモソモソと詰め込み私たちはテントに潜り込んだ。 まだ、9日間は始まったばかりだ。 9月14日 2日目 とうとう彼が怒鳴る。「だれがこんなとこへ行こいうたんや!」 無事に朝を迎えられたのは何より。でも、降りつづく雨音と私の寝息(いびきではない)で彼は眠れなかったらしく機嫌が悪い。 知らんよそんなん、寝たもの勝ちです。 テントの入り口には、クマと闘うためのオールとなぜだか虫キックという虫除けスプレーが。唯一の飛び道具だと彼は言うが、虫除けスプレーでクマと対決した人があればぜひ聞いてみたいものだ。 とか言いながらも、オールと虫キックのセットは翌日もその翌日も最終日まで続いていた。 サッポロ一番ビーフ味に餅をいれた国際的な朝食の後、漕ぎ出すが、周りの山には真っ白く雪が積もっている。寒いはずだ。 カナディアンカヌー2日目の私は、まだ何だか勝手がよく分からず、右へ左へカヌーが蛇行しているのがよく分かる。 天気も悪いし、今日は少し早くついてゆっくり釣りでもしようかと早めに大きめのキャンプ場に乗り上げた。 おぉ、ここはテーブルも椅子もあるし焚き火の跡もしっかりあるので火もつきやすいだろう、今宵はバーベキュー気分だ。 全く自然の所が魅力なのかなぁと思ったりしていたけれど、人のいた形跡にほっとするのはなぜだろう。 しかし、降りた時の恒例行事、クマ鈴をジャンジャン鳴らしながら周囲の足跡などをチェックしていると・・・今まで嗅いだことのないものすごい獣の臭いがする。 タヌキでも、シカでもない、深く、濃い臭い・・・本能が叫んだ、クマだ。クマが俺様の縄張りだと主張している。 案の定、よく見ると小石の砂利の間やテントサイトの上り口にくっきりと爪の後があるのが見えてくる。 あると思って見るとあるのだ。大急ぎで気持ちを切り替え、つぎのキャンプ場に向かう。 しかし、なんとそこでも無数の爪跡、向かいの中洲にまで80センチ程もある魚、ノーザンパイクの食われた残骸があるではないか。 「俺らも食われるで」表情のない彼がつぶやく。と同じにまたカヌーを漕ぎ出す。今日はさすがに私も不安になってきた。 18時をまわると気温もぐっと下がってきたため放浪のあげく4ヶ所目にしてあきらめ、砂利の河原に落ち着くことにした。 もちろんここも例のものはゼロではないが2人そろって見ないふりをすることにした。 なんでやねん、来る前にインターネットで調べたときは、2週間でクマの足跡は1回だけやったって書いてあったやん、私達はまだ足跡のない陸地に上がった事ないで。 1に安全、2に安全。テントと調理場所は、向こうが見えないくらいに離しておこう。念には念をだ。 でも、晩御飯、張り切って3合も炊いたのに1合も食べなかったよね、彼がBEEF SOUP をポイするのを見てしまった、食欲落ちてるんだろーナ。せめて明日は雨が上がるといいね。 相変わらず私は、のん気すぎると彼が怒り出すくらいよく食べ、よく寝れる。これが私の唯一の自慢なのだが。 「俺は生きてかえるで!」って彼、「そんなん私も生きて帰るっちゅーねん!」 もう引返せないしこれから300キロ、どうせなら楽しくいこうよ。 9月15日 3日目 起きると、吐く息の向こうの川を朝もやが覆いつくしているのが見える。 小雨は降っているが、空の切れ端が明るく今日こそは晴れそうだ。 私はやっぱり、朝のこの静寂感が好きだ。この瞬間のために旅をしているのではと思うことさえある。 そして、オハヨと起きれるというごくごく当たり前のことに感謝しながら一日は始まった。 カヌーの後ろ側に陣取り、地図を見て舵をとるのは彼の役目だ。 彼は産まれ持っての釣り師と言ってもいいくらいで、川のことは比較的よく知っているんじゃないかと思う。 それに比べて私は、単なるゲンキなネーちゃんだ。 しかし、小さな子どものようにカヌーの前に乗り、ぱしゃぱしゃ漕いでいることに物足りなくなってきた。 でも、前後を入れ替わるととてもじゃないが舵が取れず、蛇のようにうねって進まない。 一度入れ替わってみたが、自分でも怒ってしまいそうだったのでこのポジションは仕方ないのかもしれない。が、暇だ。 地図を見せてくれ〜と頼むが、しっかり漕げと貸してくれない。ケチッ。 思い思いに歌を歌いながら進む。私はかなりのおんちだが、初めて聞いた彼の歌も似たものがあるかもしれないと思う。 まぁ、多分半径100キロくらいは民家もなく誰も聞いていないのでいいことにしよう。 私のこの旅のイメージソングは椎名誠が隊長の“あやしい探検隊”で、10年以上前のサンテレビでやっていた番組の主題歌だ。 彼は“トムソーヤの冒険”のようで、2人とも同じフレーズを何度も意気揚揚と歌っていた。 そして、トムとハックが木の上に作っていた家の話やハックがお金持ちの家にもらわれたけれど、前の気ままな暮らしがいいよと言っていることについて話した。 トムたちが金塊を発見したように、ここユーコンにも金を求めて多くの人が集まっていた時代があるという。 私達が金の延べ棒を見つけたらどうしたいかと夢の話しをするが、2人とも「貯金しとこか」と、えらく現実的なのには拍子抜けだった。でも、多分お金では買えない満足がここにはあるんだろう。 今日は氷が降って、漕ぎ始めも2度と冷え込んでいたのだが、夕方近くになりようやく雨が上がった。 今日こそは少しゆっくりしようと、2時頃にテントを張り初めての焚き火が炎を上げた。 今まではかなりの雨で焚き火もできなかったのだ。やっぱり火はいい。本当に温かく元気が出る。 調理をするのは、持って来ているバーナーが主だが、焚き火にフライパンでジューッっていうのも私は好きだ。 バーナーは、ホワイトガソリンと灯油・ガスカートリッジ両用タイプを持参したが、ホワイトホースでは口の合うガスカートリッジにめぐり合えなかった。 ホワイトガソリンも、ホームセンターなどには売られていず、たまたまコンビニでキャンプフューエルというのを見つけてこれを使っている。こちらではホワイトガソリンという呼び名はないらしい。 焚き火も点いたし、調理の準備も万端だ。そして、とうとう今日はカナダで初めての魚、グレイリングを釣り上げた。 おそるおそる一番小さいのをさばいてみたのだが、これがうまい。ヤマメのようなかんじでニジマスよりはクセがない。 明日からはでっかいのを調理することにしよう。魚はカヌーに入れると臭いがつくとのことだったので、カヌーの上で釣った魚は引っ張っていくつもりだった。 洗濯ネットに入れて。だけどこの夢は実現せず、100円ショップの洗濯ネットはといえば、毎晩食器類を川底に沈めておくために使われていた。 私達の疑問は、みんなこんなことしてるんかな?ってことだったが誰に聞くこともできない。ここには、野生動物しか生息していないのだ。 少し、筋肉痛が出てきた。それも、足にだ。料理場所とフードコンテナ、テント場を私達はできる限り離していたため、ちょっと移動するにも大騒動、しかも大荷物である。みんな、どれくらい気を付けてるんかなぁ、マジで。クマスプレーを忘れた代償を身体でかせいでいるようなものだ。トホホッ。 9月16日 今日は待ちに待った晴れ間だぜぃ!さすが青空は力がみなぎる。 だが、周りの雪山から吹き降ろす風がキリリと痛い。 ゆっくり止まっていられず、昼食は簡単にパンですませている。 今日は寒すぎてカヌーからは下りずに、乗ったままでの昼食だ。このパンは少し癖のある味で乾パンの親戚みたいな感じである。 スーパーではなぜかハムなどが置いてある冷蔵品の棚の上に並べてあってふわふわ感はない。 非常食もかねて2袋詰めを買っていたので私はこの乾パンまがい品にメイプルシロップをたっぶり塗ったものが毎日の昼食だった。今までの10年分くらいはメイプルシロップを食べただろうと思う。 彼はといえば、米がないと生きていけない人であり、ふりかけご飯を昼食にしていた。ちなみにバナナも2房もあるので半強制的にバナナも食べる。 黙っているとパドルを漕ぐ音だけしか聞こえず、ずっと広がる川の静寂が現れ2人だけの時間を作り出していく。 だんだん彼とケンカする気もなくなってきてゆったりとした空気が身を包みこんできた。 これぞ、待ち望んでいたユーコンタイムだ。 4日目にして、周りの環境に慣れてきたのだろう。キャンプ地も、いい感じの所が分かってきて、今日は地図にはないが絶好のキャンプ地に着ける。 水場も近いし、木の間なので風も当たらない。焚き火とテントの間もある程度の距離がある。焚き火の後もあるから、火も付けやすいし、マキも結構あるから朝までは持つだろう。 しめったシュラフを干し、焚き火にあたりながら、靴下や長靴を乾かす。 靴下を2枚重ねて履いているのだけれどしびれてしまうくらい足が冷たい。 私の長靴はホームセンターで確か980円くらいだったのだが、彼が中敷を出して乾かしているのを見て、私のには入っていないのを知った。長靴にも中敷があるのか。 彼に、1980円出したら中敷が入っている長靴が買えるでと笑われて悔しいけれど、今度来るときにはあったかい中敷を持ってこよう。9日間長靴を履きっぱなしなので、かなり重要度は高いと思う。 「あ、そこで魚が跳ねているよ」「もう少ししたら釣りに行ってみようか。」「うん、ご飯だけ先に炊いてからいこうね」 ここに来るきっかけになった本に書いてあったんだった。漕ぎ出して3日目にユーコンの静寂が現れたって。 「行ってみたい」って思いが、半年後には実現してここにいるよ。 石田ゆうすけさんの「行かずに死ねるか」。実は自転車で世界一周する本なんだけど、その中の数ページのユーコンに反応した。 オーロラに感動したって書いてあったな、私達も見たいナァ。 とは言っても、毎晩10時までには寝てしまっている。9時ごろ暗くなるのだが、やっと初めて今日星を見た。 ライトもまだ使っていない、疲れて毎日眠くて仕方なく暗くなるまで起きていられないのだ。 9月17日 明け方は氷点下。でも、あったかいチーズリゾットとスープ、そして焚き火があればへっちゃらさ。 漕ぎ出してから5日目。今日は、北風が入り進まない。 軽い筋肉痛はあるがオールさばきも慣れてきて楽に漕げるようになってきている。 周りの景色もさほど変わるというわけでもなくキャンプ地に早く着いてゆっくりしたい感じになってきた。 キャンプ地を目指し2人して一生懸命漕ぐが、私は相変わらず歌を歌いながら漕いでいるので力が入りすぎ、相変わらず右へ左へ蛇行しているようだ。 彼は律儀に真中からアウトサイドの流れに乗せ効率よく進もうとしている。息が合っているのか合っていないのかよく分からない。 彼が、真っ直ぐ進みたいと訴えることを思えば、不満なのだろう。 ケンカもした。私は前で彼が後ろで舵をとるというのは力の差が歴然で初日に定着した。 地図を見るのもやっぱり彼の役目だ。でも、大きな変化もない川の上、どこをどう進んでいるのか分からない、またまた中だるみも手伝って私は退屈になってきたのである。 そして再び始まった。「地図見せてよ」「それよりちゃんと漕げよ」「私は漕ぎ要員やん」 少し経つと後ろからボンッと地図がほられてくる。振り向くと彼は目を合わさず遠くを見ている。 当初の予定だった2艇で来なくて本当によかった。1艇なら、いくらなんでも置いて行かれることはない。 地図を見ても、中州もたくさんあるし川幅が広いのでどっちに進んでいるのかよく分からない。 対岸かと思っていたら1キロ以上続く大きな中州だったりする。川幅も広いところでは1キロくらいはあるだろう。 いや、ないかもしれないしよく分からない。目印になる建物はもちろんないし、なんといっても広すぎて距離感がつかみにくいのだ。 毎日ご飯は前夜の夕食に2.5合か3合炊いている。その夕食の残りをタッパーに入れておいて、朝にぞうすいかリゾットにし、足りない時は餅を入れたりして朝食にしている。 彼は、米がないと生きていけない純日本人なので、わざわざ実家で米をもらって持ってきた。 結構2人とも大飯ぐらいでしっかり食べているが、次の食事がとれないかもという危機感もあって、私は特にしっかり食べるようにしていた。 私達のフードコンテナには、米以外にもアルファ米やキャベツや玉ねぎ、じゃがいもなどの野菜類が山盛り入っている。 私では持ちあがらず彼が肩に担いで歩くのが精一杯だ。 食が落ちても何とかなるように、調味料類やスープ・味噌・ふりかけなんかは日本からそろえていった。 これと米・野菜があればなんとかなるだろう。ジフィーズは軽いがいまいちおいしくないし、レトルト食品もいくつか持ってきてはいるができれば最後まで残しておきたい。 もともと調理が苦手な私だが、今回は食べるのも大きな楽しみだし、レトルトカレーで済ませるのも少しさみしい気がする。なぜか今回は。 ちなみに私のリップクリームや日焼け止め、歯磨き粉も匂いが出るため食品扱いでフードコンテナに収容されている。 彼はひび割れた口にリップもぬらず、アカギレた手から血をだしながら、リップクリームを塗る私に向かって「クマに顔食われるぞ」とマジな顔をして言っていた。 なんか、どこまで気をつけたらいいいのか分からないが、気をつけておくのに損はないのだろう。 まぁ、そんな彼をよそ目に、私は毎晩保湿クリームを塗っているが幸いなことにまだ顔は付いている。 だって、塗らないとものすごく乾燥していて粉吹き芋のようになるのだから。 9月18日 出発前、クマの足跡の横をテコテコ歩いて、テント場近くにあったログハウスを見にきた。 初めての観光?をする。苦労して手に入れた手持ちの地図の写真ではログハウスなのだが、実際には屋根も床もなく朽ち果てている。私達はいったい何年前の地図を見ているのだろう。 今日は待ちに待ったユーコン川が合流する。私達は今まで、テスリン川というユーコンの西側を流れる川を下っていた。 ジョンソンクロッシングを出てから、毎日ユーコンまで後何日と数えていた。大イベントDAYである。 彼が初めて朝から地図を貸してくれた。やったぁ、記念すべき合流点を私に先に見せてくれるのか、うるうる。 振り向くと今回はいたずら気な顔。あぁ〜ッ、今日は大きな川が合流しているから間違うことはないと思ってるんやろぉ。 「プッ、ばれたか」「ククク、ま、いっか」テンションは上昇気流、二人とも少しのことで笑い転げている。 ユーコンはいったいどんな川なんだろう、合流点からすぐの対岸、今日のキャンプ地であるフートアリンカは目の前だ。 そしてついにその川は姿を見せた。ふわっとした磯のような香りとともに。それは潮の香りではなくもしかすると大河の香りかもしれない。だって北極海はこの川の何千キロも離れた下流なのだ。 「すごいなーっ、すごいっ!」私は子どものように何度も何度も叫んでいたと思う。 漕ぐ手が止まり、パドルをしまい込んで両手でカヌーの際にしがみついた。そうしなければいれなかったのだ。 圧倒されていた、その川に。吸い込まれそうなほどと言うのはこのことを言うのだと思う。 何メートルも下が透けて見え、川底が手にとるように迫っていた。私は川底から目を離すことが出来ず、その上を上がったり下がったりしながら揺られているただの物体になっていた。 「あかんわ、漕げっ」彼が叫び、我に返った。早くなったうねりに乗り、カヌーは一気にスピードを上げており、対岸の平地が真横にある。やばい、流されたらこの流れでは戻ることはできない。 彼も必死なのが音で分かる。急げ。ようやく、早い流れから脱出できた時、目的地に先客がいるのに気が付いた。 カヌーらしきものが見え、近づくにつれ、2人の人影を確認できる。ここに来て、初めての先客だ。 彼らは、日本人の大学生だった。数年ぶりに言葉を話す相手が見つかったかのように、彼は自分達の行程をまくし立ててしゃべっていた。 ベアスプレーを忘れたこと、クマの足跡がどこに行ってもあることなどなど、お兄ちゃんたちは愛想良くニコニコと彼の話を聞いてくれていた。 彼らは、ホワイトホースからユーコン川を来たそうだが、レイクラバージュという大きな湖を抜けるのに4日かかったという。う〜ん、短気な私達ならきっとケンカの原因になっていたことだろう。 ここは、まるでキャンプ場のように整備されていて、いくつかの改築された建物や立て看板もある。 テーブルや椅子も完備されていたのは快適だった。なんとトイレのマークまであった。私達は近寄らなかったが。 彼はここで三投三釣という偉業?で釣り師の腕前を発揮し、私が何匹か釣って遊んでいる間にそれらをさばきフライパンにのせていた。時間にすると数十分もかかっていないだろう。 ここの魚はすれていない。というか、彼のポイント選びも完璧で私には説明できないが、ようは入れ食いなのだ。 でも、冷たい川に入って頭を洗っていたお兄ちゃんが、半日いて数匹でしたよ〜と、驚いて頭を洗う手が止まっていた。 風邪はひかないんだろうか。ユーコンに来るときは、丸刈りがいい。 9月19日 今日は出発前に看板の前などで記念撮影をするが、私にはどれも同じに見える。 大きな音を出してこちらに近づいてきたボートから、コーヒー(多分。中身は見えない)を飲みながらダンディなおじさんが飛び降りてきた。 彼は目を見開いてボートに近づき、人なつっこく、「いいエンジンですねぇ!スズキだ」と日本語と英語をごちゃまぜにしながらフレンドリーに会話している。 こちらのボートのエンジンはほとんどがスズキ 4サイクルで、日本ではあまりお目にかかれない大きなエンジンだそうだ。 おじさんたちはムースを狩に来ていて、これがとてもデリシャスとのこと、一度食べてみたいものだ。 私は、エンジンよりもムースの肉が気になる。 ユーコン川と合流して、台風の後のような濁流を覚悟しビビっていたのだが、思っていたよりも漕ぎは必要だ。 所々でボートとすれ違ったり、テントを見かけたりするようになってきた。多分ハンターなのだろう。 今まで全く人のいないところにいたので、銃を持った人間と会うのははっきり言って気持ちのいいものではない。 でも、みんな、愛想のいい笑顔でボートは必ず速度を落とし手を振って通り過ぎてくれる。川は共有の財産なんだろうなぁ。 来る前にインターネットである記録を読んだ。ここを下ったとき、「煙に巻かれてどうなるかとびびった」とのこと 私達はおもしろおかしく笑って読んでいた。でも、現実は違った。進んでも進んでも焼け野原が続いている。 きっと、あの時の火事なんだろう、多分人間のしたことやねんなー・・・これだけ雄大な土地で消火活動なんてまず不可能に近い、なんだか、悲しい気持ちになる。 流れがあり浅瀬がないのをいいことに、カヌーは青い空の方へ向かってどんぶらこっことおもむくままに流れていた。 ひょんなことで気が付けば、少し前に右側から川が流れ込んでいるではないか。 「あれ、ちゃうんか」「・・・」今日のキャンプ地はビッグサーモン川との合流点にある。 他には大きな川は入ってきていないはず・・・やばいっ。 またまた、カヌーレースさながらの全開の漕ぎで岸にたどり着く。ほっ。 でも、そろそろばれたかな、地図をちゃんと見ていなかったのが。 ここビッグサーモン川付近で、でかいサケを捕って、いくらをガバガバ食べる予定もあったのだが、あいにくサケの姿は見えない。 サケ定食はあきらめないといけなさそうだ。 今日のキャンプ地は、ビッグサーモンビレッジという廃村だ。 手で切ったと思われる木の間に苔を詰めた昔ながらの建て方、朽ちたログハウスがよけいに哀愁を漂わせる。 ずっとずっと昔、村がまだあった頃から私達はここに住んでいて、彼がこの建物を建てたとさえ感じる。 浅黒く焼けひげがのびた彼の顔が少年っぽさを捨て、夕日を受けて大人の顔をしていた。 私は彼のこの顔を忘れないと思う。私達のための私達の時間が流れ、ここちよい空間に包まれていた。 毎日彼はのこぎりで薪を作り、次々と火にくべている。 ここの薪はすぐに燃えてしまい、炭になりにくいのでたくさんの薪が必要だ。彼は、アカギレから血が噴出しどうしようもなくなったらしく、とうとう観念してのこぎりを持つ全ての指にオロナインを塗りバンソウコウを張っていた。 匂いでクマが来るからと塗り薬をかたくなに避けてきたのだが、血の臭いの方がヤバイからと判断してとのことらしい。 そこまでするとは、まっこと恐れ入る。 そしてこの旅が終わりに近づいているもの悲しさが強くなってきた。私はカメラをかまえる回数が多くなっている。 帰りたくない。今この全てを大切に思う。 9月20日 米もスープも野菜もほとんど使い切り、後は朝昼夕1食分ずつ残っているだけだ。 川に漕ぎ出してから8日目、今日が最終目的地リトルサーモンに到着する日だ。 漕ぎ出して少しすると、3隻のカヌーに出会う。私達が会った2組目のカヌーイスト達だ。 彼らは6人組でカヌーからあふれ出るくらいの荷物を積み、とてもゆったりと流れていた。 カナダのイメージはおだやかで温かい。 それに比べて私達は今日久々にケンカをし、彼はオールで私に水をかけた後、漕ぐのを放棄しひっくり返って寝ていた。 彼らを見習わないといけないよ、全く。 そうこうするうち、彼がずっと先に黒く動く点を発見した。 クマや!私には見えず、慌てて双眼鏡を取り出しのぞくが、なかなかピントが合わずあくせくする。 今回はメガネを持ってこなかった。 彼はあきれていたけれど、パソコンも携帯も使わない時ぐらいゆっくり遠くを見て目を休ませてやりたい。 でも、こういうときには不便だ。肉眼でもしっかりクマととらえられる数十メートル先まで漕いで近寄るがクマは堂々と水際を歩き、激斜面を身軽なうさぎのように登って消えた。 本物見てしもたで〜と興奮ぎみの私達、先ほどのグループも合流し「ベア−」「オゥ、ベア−」と会話にならない会話、でもきっと心は同じだ。と思う。 あと10キロくらいかな、尋ねた彼に到着地点までの距離を答え、残りわずかな旅を楽しもうと思っていたその時。 いきなり川が合流したのだ。今日は最終日だから持ってていいよと、仲直りのときに全面的に地図役を任してくれていた。 どう考えてもこんな大きな川が合流しているところは他にはない。 これがリトルサーモンリバーや!ここを外したらそれこそさようならやんか。 旅の余韻も何もあったものじゃない、岸までまたまたカヌーレースがスタート、必死で漕ぎ着き、「やばかったなぁ!」「いいかげんにしてくれよ」と最後まで大騒ぎをしながら到着。はははっ。よかったよかった。 土の道を上がって行くと、台地にいくつもの小屋が並び服がかけてあったりする。 多分、ハンターの人たちの小屋なのだろう。 私達が子どもに見えるようなでっかいおじさんに、ここはリトルサーモン?と確認し、記念にユーコン川に沈む石をいくつかひらう。ひとつひとつがいとおしく感じられる。 旅を続ける大学生のお兄ちゃんたちがうらやましく手を振り見送る。 長靴を履き、お風呂にも入れず、クマにおののき。でも、最高のハネムーンだったよな。 夕焼けを見ながら言葉も交わさず、私達は長い間川べりに座っていた。 私達はこの思い出を胸に、今漕ぎ出したばかりだ。 番外編 リトルサーモンでピックアップしてもらった私たちは、ホワイトホースの空港に向かった。 川から上がって早々だが、今日中にバンクーバーまで飛行機で帰る予定にしている。 というのは、もともと格安航空チケットを購入していたにも関わらず、私たちが乗る予定だった飛行機は路線自体がなくなってしまったのである。 というわけで、ここホワイトホースから日本に帰る手段はあきらめ、バンクーバーで1泊することにした。 「これでも新婚旅行」・・・せっかくなので最高級ホテルを予約していた。 なんてったって、昨日までの住処はテントなのだから。 川まで迎えに来てくれたおじチャンは、私たちを通りのカフェに連れて行ってくれた。 粋な映画のドライブインといったかんじで、みたこともない煙突のついたBigなトラックが止まっている。 中には数人のおじチャンが金のブレスをたわませながらモーニングを食べていた。 そこには、「ユーコンタイム」と書かれた壁掛けやミスユニバース張り?の美人女性の写真とトロフィーが飾ってあった。 なんとその美人女性はここドライブインの女将?だった。 私たちはそこでコーヒーとクッキーを注文し、運転手のおじチャンがニコニコと支払ってくれた。 彼は、このクッキーは今まで食べた何よりもウマイといっていつまでも感激していた。 確か私の作った?ボンカレーを食べたときもそう言っていたはずだが。 そして「少し贅沢してもいい?」と、控えめに尋ねたその先にはユーコンの絵葉書があった。 1枚日本円にして80円くらい・・・そう言えば私たちは何日間も、お金を目にしていなかったなあ〜。 バンクーバーに到着し、最高級ホテルに着いたのは夕方の6時を回っていた。 ここまでの9日間風呂にも入らず・・だったのでバンクーバーまでの飛行機の隣りの席の人には申し訳なかったかしら・・・。 薄汚れたとてつもない大きなバックは、2つとも金色の台車からずり落ちそうになりながらボーイさんに運ばれていった。 そしてもっと薄汚れた?私たちは、ホテルの中にあるショッピングアーケードを横目に、なんだかこそこそと金色のエレベーターに乗って部屋に入った。ボーイさんは怪しまなかっただろうか。 部屋に入ってもちろん一番にしたことは、お風呂だった。 お風呂から出てこないのを心配されたくらい私は長く髪を洗っていた。 何度洗っても泡が立たなかったのだ。正確には、4回シャンプーをしても物足りなかった。 サワヤカ?になった私達はそして、少しスキップしながら町に出た。 まがりなりしもハネムーン、カナダって何がおいしいのかな。 でも、おみやげの一つも買っていないんだった。とりあえず、手ぶらでは帰れないし。 開いていたおみやげやさんに飛びこんで、詰められたクッキーやチョコは大きなダンボール3箱にもおよんだ。 こんな大きな荷物ではご飯食べに行くどころかホテルまでも帰ることが出来ないではないか。 ましてや、この荷物をどうやって日本に持って帰るんだ・・・。 でも、すでにお金は払ってしまった。後で聞いた話だが、周りの人はハネムーンに行く前にカタログ注文で購入していたらしい。とほほ。早く教えてよ「モウ!」。 最終日にディナーをゆっくりとりたかったのだが、これが片付かねば仕方あるまい。 ユーコン川で買うわけにはいかなかったのだから・・・。 この荷物と行動が一緒では身動きがとれないので送料は高くつくが日本へ送ることに話は決まった。 はずであったが騒動が再発したのである。 「食品は10キロまでしか送れないから詰め直してください」とコンビ二のオヤジ・・・ 「さっきは25キロっていうたから、体重計に乗って測り終わったばかりだというのにぃ・・・」 と思っていたら彼がオヤジにタンカを切ったのである。「もぅええ、もって帰る!」 「おいおい・・・」と私 結局目の前のホテルまでタクシーで荷物を運んぶはめに。 そしてそれらはまた金色の台車に乗せられボーイさんと部屋までやってきたのである。 いったいこの部屋には合計いくつの荷物があるんだろう。 はっきりいって、立っているのもやっとだった。彼はカンカンに怒っていた。「ユーコンに戻りたい!」 でも、最後の夜だもんね、グランドピアノからジャズの音色が聞こえていたバーに行って軽食でも食べようよ・・・。 しかしキッチンは閉まっていた。お酒を飲まない彼にとってバーはただのベンチでしかなかった。 思い直したルームサービスも終了していた。ここでは自分でお湯を沸かしてラーメンを作るわけにもいかない。 フードコンテナもない。時計は真夜中の12時を回っていた。 私たちは最後の力を振り絞って、オールナイトのハンバーガーショップを目指し、一番贅沢なものをと注文した(日本語なので通じていないが)。 ここのオネ−チャンは、「レタスだめ、きゅうりだめ、ピクルスだめ」と注文の多い彼にこころよく対応してくれ、代わりにツナ入れてよというわがままにも答えてくれた。 少し幸せな気分になった私たちは、またまた金色のエレベーターに乗って部屋に戻り、冷蔵庫から缶ビールを出し窓際のソファーで乾杯をした。 私たちだけが、この窓の外の雑踏やきらびやかなネオンから浮いているようだった。 それにしてもこのハンバーガーは結構いける!ハンバーガーバンザイ!とうとう笑いが止まらなくなり、ポーズを作って記念写真までとった。 最高級ホテルの1室で真夜中にハンバーガーをほおばりながら、2人で顔を寄せてげらげら笑った。 「今日が一番疲れたなぁ〜」 「ユーコンバンザイ」 「ひろちゃん ユーコンを行く」 文・写真 ひろちゃん ’04.12.29 |